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​お祀りする神様

​御祭神


水波能売命(ミズハノメノミコト)


伊邪那美命(イザナミノミコト)


誉田別命(ホンダワケノミコト)


事代主命(コトシロヌシノミコト)


加茂別雷命(カモワケイカツチノミコト)

菊理比売命(ククリヒメノミコト)

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御由緒

おおよそ1,190年あまり前、天長年間の御鎮座とされております。
貴重な湧水地であったため、「水を司る神様」をおまつりしたことが創始であります。
 『相模国風土記』によると、「井之明神社祭神詳らかならず、神体石二個を置き、例祭九月九日、天正十九年(およそ420年前)社領三石五斗の御朱印を賜る。老杉(円一丈二尺余り)を御神木とす。幣殿・拝殿・神楽殿建てり。末社、稲荷・浅間・毘沙門・三峰」とあります。
 また、「井之大明神」と称し、享保八年二月八日 (およそ220年前)、神祇管領匂當長上従二位 卜部朝臣兼敬より「正一位」の極位を奉授されております。  
 明治六年「井之明神社」に曾屋村内鎮座の、「加羅子神社」「八幡神社」「熊野神社」「加茂神社」 「白山神社」「牛頭天王社(後に分祀)」を合祀し、曾屋の村名を冠し「曾屋神社」と改称し、 郷社に列せられました。  
 大正十年七月五日、神奈川県告示第二百二十号を以って神饌幣帛供進の神社に指定されました。
昭和六十一年六月二十三日、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定され、現在に至っております。

江戸期の「曾屋村」の様子

往時の曾屋村の様子が描かれております。
「井大明神」(曾屋神社)を頂点に街並みが賑わっている様子が窺えます。
神社の湧水を頂きながら生活し、それに伴い住居も集中していたようです。
絵図中央には、南北に「矢倉沢往還(大山街道)」がはしり、十日市場として栄え、また宿場としても賑わいをみせていました。

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